ゴールドラッシュ_強者どもの夢の跡

明治30年代に
オホーツクを流れる川で
次々と砂金が発見され
ゴールドラッシュとなった。

ゴールドラッシュ
なんて言葉は
西部開拓時代の
アメリカの
専売特許かと
思いきや
オホーツクの地にも
あったのだ。

ここは
鴻之舞鉱山の跡。

1915年(大正4年)に鉱床が発見され
閉山した1974年(昭和48年)までの
59年間に
金72.6トンと銀1,234トンを産出した。
この規模は
佐渡金山・菱刈金山に次ぐ
国内第三位。

この鴻之舞鉱山を
支えるため
最盛期には
この一帯に
一万五千人もの人が
暮らしていたという。

しかし戦争が始まり
金・銀より
鉄・銅の需要が高まり
労働者の多くが
配置換えとなった。

戦争のさらなる長期化で
鉱山労働者が
次々と招集されたため
親会社・住友の要請に基づき
朝鮮人労働者の移入が行われたという。

ここまでは
ウィキペディアからの情報。
だから
朝鮮から
動員された人達の
「気持ち」や「いきさつ」
その「待遇」や「生活環境」が
どのようなものだったのかは
わからないが
思わぬところで
敗戦後80年が経過しても
今なお
くすぶり続ける日韓関係の
感情的な火種の一端が
ここにもあったことを
知ることになった。

「ゴールドラッシュ_強者どもの夢の跡」への4件のフィードバック

  1. パルプタウン

    最初に砂金が採れることを知ったのは、土着のアイヌの人達だったような気がする。
    腹黒い現地の和人がそれを知り、その情報を内地の資本家に売った。

    そして、金(キン)に目がくらんだ内地の資本家が、北海道の奥深い山の中にこれほどの構造物を築造した。

    経年劣化したコンクリートがまるで花崗岩のようにも見え、これはこれで「産業遺産」かもしれないけど、他国の労働者を使役した野蛮があったとすれば、恥ずかしいし、認めがたい。

    このような資本家(政治屋)の執念は今も脈々と続いているから、始末に負えない。

    とは云え、歴史ある構造物は興味深いから実物を見てみたい。

    1. パルプタウン様

      もちろんアイヌの人達が知っていたことを和人が知り争奪戦になったんだろう。
      朝鮮からの労働者を野蛮に取り扱ったのかどうかはわからないが少なくとも日本人と全く同じかそれ以上ということはないだろうと思われる。
      今ではここにそんなに多くの人が住んでいたとは想像し難いもののいつでも案内しますよ。

  2. そうなんですね、歴史を語る時そこに暮らした人々の思い、状況も考えなければならない・・・
    確かにここで生活した人々がいた、それを感じて時の流れが寂しく思います。

    1. 一般にはあまり詳しく触れられない歴史的事実に思いがけなく出会いました。実情がどうだったのか分かりませんが、はるばる日本の炭鉱に来た朝鮮の人たちが全員自分の意思だったのか日本人と同じ待遇だったのか、いろいろ気になりますね。

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