ゴールドラッシュ_強者どもの夢の跡 4件のコメント / 2022年2月25日 / 写真 / オホーツク, 歴史 明治30年代にオホーツクを流れる川で次々と砂金が発見されゴールドラッシュとなった。 ゴールドラッシュなんて言葉は西部開拓時代のアメリカの専売特許かと思いきやオホーツクの地にもあったのだ。 ここは鴻之舞鉱山の跡。 1915年(大正4年)に鉱床が発見され閉山した1974年(昭和48年)までの59年間に金72.6トンと銀1,234トンを産出した。この規模は佐渡金山・菱刈金山に次ぐ国内第三位。 この鴻之舞鉱山を支えるため最盛期にはこの一帯に一万五千人もの人が暮らしていたという。しかし戦争が始まり金・銀より鉄・銅の需要が高まり労働者の多くが配置換えとなった。戦争のさらなる長期化で鉱山労働者が次々と招集されたため親会社・住友の要請に基づき朝鮮人労働者の移入が行われたという。 ここまではウィキペディアからの情報。だから朝鮮から動員された人達の「気持ち」や「いきさつ」その「待遇」や「生活環境」がどのようなものだったのかはわからないが思わぬところで敗戦後80年が経過しても今なおくすぶり続ける日韓関係の感情的な火種の一端がここにもあったことを知ることになった。
パルプタウン 2022年2月26日 19:44 最初に砂金が採れることを知ったのは、土着のアイヌの人達だったような気がする。 腹黒い現地の和人がそれを知り、その情報を内地の資本家に売った。 そして、金(キン)に目がくらんだ内地の資本家が、北海道の奥深い山の中にこれほどの構造物を築造した。 経年劣化したコンクリートがまるで花崗岩のようにも見え、これはこれで「産業遺産」かもしれないけど、他国の労働者を使役した野蛮があったとすれば、恥ずかしいし、認めがたい。 このような資本家(政治屋)の執念は今も脈々と続いているから、始末に負えない。 とは云え、歴史ある構造物は興味深いから実物を見てみたい。 返信
E男 2022年2月26日 22:22 パルプタウン様 もちろんアイヌの人達が知っていたことを和人が知り争奪戦になったんだろう。 朝鮮からの労働者を野蛮に取り扱ったのかどうかはわからないが少なくとも日本人と全く同じかそれ以上ということはないだろうと思われる。 今ではここにそんなに多くの人が住んでいたとは想像し難いもののいつでも案内しますよ。 返信
berumoon 2022年2月26日 07:00 そうなんですね、歴史を語る時そこに暮らした人々の思い、状況も考えなければならない・・・ 確かにここで生活した人々がいた、それを感じて時の流れが寂しく思います。 返信
E男 2022年2月26日 11:25 一般にはあまり詳しく触れられない歴史的事実に思いがけなく出会いました。実情がどうだったのか分かりませんが、はるばる日本の炭鉱に来た朝鮮の人たちが全員自分の意思だったのか日本人と同じ待遇だったのか、いろいろ気になりますね。 返信
最初に砂金が採れることを知ったのは、土着のアイヌの人達だったような気がする。
腹黒い現地の和人がそれを知り、その情報を内地の資本家に売った。
そして、金(キン)に目がくらんだ内地の資本家が、北海道の奥深い山の中にこれほどの構造物を築造した。
経年劣化したコンクリートがまるで花崗岩のようにも見え、これはこれで「産業遺産」かもしれないけど、他国の労働者を使役した野蛮があったとすれば、恥ずかしいし、認めがたい。
このような資本家(政治屋)の執念は今も脈々と続いているから、始末に負えない。
とは云え、歴史ある構造物は興味深いから実物を見てみたい。
パルプタウン様
もちろんアイヌの人達が知っていたことを和人が知り争奪戦になったんだろう。
朝鮮からの労働者を野蛮に取り扱ったのかどうかはわからないが少なくとも日本人と全く同じかそれ以上ということはないだろうと思われる。
今ではここにそんなに多くの人が住んでいたとは想像し難いもののいつでも案内しますよ。
そうなんですね、歴史を語る時そこに暮らした人々の思い、状況も考えなければならない・・・
確かにここで生活した人々がいた、それを感じて時の流れが寂しく思います。
一般にはあまり詳しく触れられない歴史的事実に思いがけなく出会いました。実情がどうだったのか分かりませんが、はるばる日本の炭鉱に来た朝鮮の人たちが全員自分の意思だったのか日本人と同じ待遇だったのか、いろいろ気になりますね。