ー 友情と雲 ー
お世話になったおじさんが
認知症で入院したと聞き
会って話ができる
最後のチャンスかもしれないと
上京を決めた。
決め手は
昨年末
旭川ー成田間に就航した
格安航空ジェットスターの存在。
久しぶりの
上京は
撮影の
チャンスでもあり
期待も
大きかったが
考えただけで
疲れそう。。。😅
行く前から
気が重くなった。
ー さっそくの洗礼 ー
数年前に
LCCを
使った事があるので
わかってはいたが
成田空港の
一番端にある
LCCの発着ゲートから
京急スカイアクセスまでの距離は
異常に遠い。
機内持ち込み制限が厳しい
LCCということもあり
ギリギリまで
減らしたにもかかわらず
カメラバッグが
肩に食い込み
途中何度も
休みながら
歩く歩く歩く。
ここまでで
くたびれ果ててしまい
夏でなくて
良かったと
心底思ったし
さっそく
東京の
強烈な洗礼を
浴びたな
そう思った。
ー 浅草 ー
今回の宿は
浅草。
浅草は
成田からも
羽田からも
アクセスがいい。
ホテルの窓からは
スカイツリーが
すぐ近くに見える。
おかげで
朝焼けに
輝く姿や
美しくライトアップされた
様子を
直近に毎日
眺める事ができた。
初日は
秋葉原で
大学時代の友人と
飲むことになっていた。
ー 二人の友 ー
待ち合わせの
高級焼肉店に到着し
部屋に通されると
二人が
すでに待っていた。
一人は
都内で解体業を
手広く行う会社の社長U
数年ぶりの再会だ。
もう一人は
咄嗟に
誰か
わからなかった。
なぜなら
今回
3人集まる
予定のうちの一人は
初対面だったから
その人かと思ったのだ。
ー 半世紀ぶりの再会 ー
思わず頭を下げたが
声を聞いて
すぐわかった。
彼こそ
半世紀ぶりに再会した
Yだった。
今回
わざわざ
福島いわき市から
駆け付けてくれた。
彼は
壁紙にスプレーすることで
汚れを軽減できるという
特殊な溶剤を
信州大学と共同開発して
その拡販に奔走しているらしい。
Uは
メルセデス。
Yは
レンジローバー。
どちらも
大排気量の
超高級車を所有しており
リッチで羨ましい限り(^^
二人は
サッカー部だった。
ー Yという男 ー
Yとは
1年間
同じ下宿だった。
福島訛りの
イントネーションはあるものの
垢抜けていて
背が高く
なかなかのイケメンで
どこか都会的な
雰囲気のする男だった。
そんな彼からは
カーペンターズや
ビリー・ジョエルの
素晴らしさと
豚鼻で
どこが
かっこいいのかと
思っていた
BMWが
いかに高性能なのかを
教えられ
様々な影響を受けた。
また当時
サッカー選手の名前は
ブラジルのペレくらいしか
知らなかったが
西ドイツに
「皇帝」と呼ばれている
ベッケンバウアーという
スーパースターが
いることも知った。
そのベッケンバウアーが
今年亡くなり
大統領も出席して
大規模な追悼集会が
催されたニュースを見ていたので
このタイミングに
彼に
半世紀ぶりの
再会を果たすことは
実に
奇遇だと思う。
Uは3歳上で
Yは2歳上。
だから
二人とも
今や
70の大台だ。
ー Uという男 ー
Uは
在日朝鮮人で
彼から
在日朝鮮人の
複雑な状況を聞いて
強いショックを受けた。
彼から聞いた
朝鮮高校と
国士舘高校の抗争は
凄まじく
秋葉原のホームで
殴り合いになり
線路に飛び降りて
逃げるなどの事件は
日常茶飯事だったらしい。
また
日本語の壁も高く
大学入試には
相当
苦労したという。
旭川で
のんびり暮らしていた
ボクは
大学紛争や
ベトナム戦争のことくらいしか知らず
身近に
民族蔑視や
差別問題がなかったので
彼の話は
どれも衝撃的だった。
しかし
彼は
どこか我々とは違う
大陸的な鷹揚さを
感じさせる
そんな男で
スマートで
いかにも東京育ちで
Yとは違ったタイプの
イケメンだったし
仲間内では
唯一
自分の車も持っていたから
女の子には
モテたに違いない。
今考えれば
最年長だったが
偉そうに振る舞ったり
威張ったりすることは
一度もなく
対等に
付き合う事ができたのも
彼の人柄だと思う。
ー 伝えねばならぬこと ー
しかし
数年前
全社員を引き連れて
旭山動物園に来た時
奥さんが食事をしながら
発した一言が忘れられない。
それは
大学時代
軟派だった頃の
話をしていた時だった。
「自分はそんな学生時代を
過ごしていたのに
息子には
ずいぶん厳しいのね」
彼は
その言葉を
聞き流したが
ボクには
彼が
在日朝鮮人として
日本の社会で生きるために
辛酸を
数多く舐めて来た
証だろうと思った。
だからこそ
息子を厳しく戒め
日本人から
見下されることのないようにしなければ
自分たちは
生き残れないのだよ
と懸命に
伝えようとしているに違いない
そう思った。
一見
呑気そうに見える彼も
悩み
苦労しているのだなと
そう思った
シーンだった。
ー 不思議な縁 ー
今回
お見舞いに行くおじさんは
朝日新聞の名物記者で
韓国中央情報局KCIAによる
金大中拉致事件を
追いかけていたこともあり
朝鮮総連の幹部でもあった
彼のお父さんに会って
取材した事がある。
まったく
何が
どこで繋がるかわからない
不思議な縁だ。
ー Hという男 ー
ススキノで
夜が明けるまで
飲み明かしたことや
馴染みの店を
懐かしく思い出して
盛り上がっているところに
遅れてやって来たのが
ほぼ初対面のH。
彼は
全国で事業を展開する
大手内装会社の社長で
旭川の物件も手掛けたという。
彼の
誠実で
朗らかな人柄は
とても好印象で
すぐ違和感なく
話が弾んだ。
この夏
リタイアして
札幌に
戻る予定だそうだ。
ー 感謝 ー
ボク以外は
皆
立派な社長さんばかり。
近況を
報告したせいか
「お前はゲストだから」と
3人は
ボクには
金を
一切使わせなかった。
少し
心苦しかったが
彼らの
友情と思って
ありがたくお世話になった。
ー あと何回 ー
こうして
半世紀ぶりの
再会は
とても和やかで
楽しいひと時になった。
死ぬまでに
あと何回彼らと
会って話せるだろう。
今回は
来られなかった連中もいる。
機会を見つけて
なるべく多く
彼らと会い
語り合いたいと思う。
ー 動かない雲 ー
最後に
飛行機の窓から
雲海を眺めていて
思ったことを書いて
終わりたいと思う。
飛行中
真っ青な空の下に広がる
真っ白な雲海は
ゆっくり
過ぎて行き
ほとんど
動かないように見える。
しかし
高度を下げ
雲の中を進み
地表が見えて来ると
初めて
かなりのスピードで
飛んでいることを実感する。
ー 気づかずにいる大切なもの ー
この時
あ〜
なんか人生に似ているかも?
と思ったのだ。
若かった頃
時間は
有り余るほどあって
のんびり過ぎていくものだと
思っていたし
だから
後回しにしたことも
たくさんあった。
しかし
この歳になってみて
初めて
時間は猛スピードで
流れていたのだと
気づく。
まさに
光陰矢の如し。
さて
残りの人生を
どう生きようか。
真面目に考えねば。。
カメラ:SONY α7RⅤ
レンズ:FE 24-105mm F4 G OSSなど
[ お詫び ]
まだコメントができないようです。
もうしばらくお待ち下さい。
ごめんなさい。