母子里クリスタルパークは
星景写真の世界では
とても有名なポイントで
いつかは
行ってみたいと
思っていた。
しかし
ものすごく
辺鄙な場所で
クマだらけ
と聞いていたし
遠いこともあり
なかなか行けなかった。
ー 一枚の写真との出会い ー
10月15日
士別市で催された
写真展で
母子里クリスタルパークの
星空を撮影した
素晴らしい
一枚に出会った。
作者によると
真っ暗で
誰もいない中
クマが怖いので
カメラを
セッティングした後は
車に
閉じこもっていたという。
聞いていたとおりだ。
暗闇の中
一人ぼっちでいるだけで
心細いのに
何かがいる気配を感じると
本当に怖いものだ。
それが
クマの可能性が高いともなれば
恐怖以外の何物でもない。
時計を見ると
まだ2時過ぎで
陽は高い。
夕暮れには
間に合うだろうと思い
下見を兼ねて
向かうことにした。
ー 辺鄙な場所 ー
士別市から
朱鞠内湖に向かうこと
約1時間。
分かれ道を
名寄市側に
走ること
さらに30分。
小高い山に囲まれて
とても豊かとは思えない
小さな農地と
荒れ地だけの
光景がずっと続く。
いくらなんでも
通り過ぎたのかもしれない
と心配になった頃
歩いている
一人の
女性を見つけた。
ここが
母子里で
クリスタルパークは
眼の前だと言う。
数軒の
家はあるものの
寂しげで
とても小さな集落。
彼女以外には
誰もおらず
冬など
暮らしていけるのか
心配になるほどの
ど田舎だ。
少なくとも
クリスタルパークなんて
モダンな響きとは
無縁で
ギャップがあり過ぎる。
ー 素敵な名前 ー
母子里
と書いて
「モシリ」と読む。
アイヌ語だろうが
素敵な名前だと思う。
モシリを母子里と
日本語で表記し
読ませた
和人も
相当
変わった人だったろう。
愛着というか
やさしさというか
なにかしらの
思い入れを感じるから
詩人のような
文化人だったかもしれない。
ー 忽然と起立する鏡の塔 ー
白樺林の中に
尖った鏡の塔が
突然現れ
ランダムに
天を
突き刺している。
まさに
忽然と現れた
鏡の尖塔は
周囲の自然と
相反するかのように
シャープで
幾何学的だが
周囲の木々を
写し込んで
不思議と
違和感なく
溶け込んでいた。
ー 存在の不思議 ー
誰が
こんなに
辺鄙な場所に
こんなに
都会的でおしゃれな
空間を作って
モニュメントを
配置しようと
考えたのか
とても不思議だ。
批判的な意味ではなく
ある意味
英断だと思う。
くだらない
地域振興策より
はるかにいい。
誰も来ないじゃないか
と言われれば
それまでだが
この不思議な空間は
ここにこそ
あるべきだと
ボクには思えた。
ー 極寒の地 ー
母子里と聞いて
思い出すことがある。
30数年前
旭川の隣町
東川町にあった
大きな家具メーカーが
倒産した。
その長男で
専務だった
Nさんとは
親しく
お付き合いさせていただいていた。
その彼から
ある日突然
母子里まで
「天使の囁きを聴きに来ないか」
という電話が来た。
彼は
「天使の囁き」については
真冬のイベントだと
言うばかりで
多くを語らず
「とにかく素敵だから来い」
「来てみればわかる」
と言うばかり。
ー 国内最低気温の地 ー
母子里は
1978年2月17日に
国内最低気温となる
マイナス41.2度
を記録している。
母子里が
それほどの
極寒の地だと
知っていたから
恐れをなしたことと
その日は用があって
行けなかった。
ー 豪放磊落とロマンチスト ー
彼は
豪放磊落(ごうほうらいらく)
という言葉が
よく似合う人で
酔払って
スナックの
カウンターを
持ち上げて壊した
という逸話の
持ち主だった。
一方で
彼は
東川の商店街を
木製看板で統一するなど
行動力があり
ロマンチストだった。
そんな彼だからこそ
「天使の囁き」という
言葉の響きに
魅せられて
母子里に
移住したのかもしれない。
そんな気がする。
ー ボンボン同士 ー
呑気で
夢ばかり見ていた
ボクに
彼は
同じボンボンとして
親近感を
抱いていたのかもしれない。
電話から
数年後
札幌の
家具のショールームで
偶然出会い
その後
山形の
巨大ホームセンターに
いたところまでは
知っているが
まだ生きているのか
どこに
いるのかも分からない。
久しぶりに
彼の笑顔を
思い出して
今年こそ
「天使の囁き」を聴きに
出掛けてみようかと
思った。
カメラ:SONY α7RⅤ
レンズ:FE 16-35mm F2.8 GM
それで行ったからこのモニュメントが撮れたのですよね。
次が楽しみです。